そして僕は途方に暮れる 雑記

※※ネタバレがたくさんあります※※

東京公演が終わりましたね。3/7~4/1、全31公演おつかれさまでした。
個人的には思いもがけず、今までにないほどに心掴まれ心かき乱され心満たされる充実した観劇期間となったなぁと。

内容としては、なんてことのない青年のなんてことない日常が少し歯車が狂った結果の、ちょっとした逃亡劇。演技のみで勝負するキャラの軸のブレない役者、緻密で豪華で計算されたセットをくるくると回転させ組み立てながら変わっていく場面、場面を劇的すぎずに彩る美しい音楽、互い違いになったようなパネルで表現される映像、重いだけでないメリハリのある演出、そして筋が通りながらも罠が仕掛けられたストーリー(脚本)。人物がそれぞれの部屋で生きていた。そのすべてがきれいに、それこそ四つ部屋の場面のように複雑ながらスマートにピースが嵌っていて、観ていてフラストレーションを感じないとても気持ちのよい舞台。好きだったシネクイントで単館映画を見ていたような感覚に近い。(もちろん話自体は心に引っ掛かりを残す、気持ちにズンとくるものではあったけれど、でもそれ以上にパーツの嵌り方が気持ちよかった)

ただ問題を先延ばしにして逃げ続けても、何か劇的な出来事が起きて気付いたら解決しているなんて都合のよいことは起こらなくて、逃げたところで行き着く先はただ「逃げ続けた先」というだけ。もしくは状況がもっと悪くなっている場合もあるわけで(今回はそれ)。狭い考えの人間は自分軸で時間が流れていると無意識に思いがちだけれども、すぐそばにいた人の時間は離れたら離れた場所で同じだけ流れていて、ただそれは一緒にいたときと「同じように」流れているわけではない。自分がその場から離れたことで生じた変化を、元に戻すことはできないんだと。

裕一は無気力で人と向き合わず自分からは何も行わず、心許した人にはひどく甘え、頼りきるというまぁそこそこダメな20代。でもそんな20代、きっとこの東京だけで何百人も何千人もいるだろう。その裕一を主人公として中心に描いているから彼ばかりが取り立ててダメな人間のように見えるけれど、彼を取り巻く人物はなんだかんだ皆同じようにどこかしらダメな人間だと思う。
彼のスマホを勝手に盗み見し、彼の友人と浮気をし、それを彼に泣きながら告白する里美。自分を守ることに秀で、笑顔で他人を欺き、表面上良い人を演じる伸二。自分は正しいと疑わず、お金のことばかりを気にし、勘違いで弟を責める姉。子どもに向き合わず、一方的に私を置いていったと嘆き宗教に逃げる母。妻子を捨て再婚し、また浮気をして離婚し、借金取りから世間からひたすら逃げ続ける父(正直、母と父に関してはこの親にしてこの子ありだなという感じ)。彼らを主軸に描いても、また裕一とは異なった途方に暮れる物語が生まれるのではないかな、でも殆どの人間ってそんなものなんだと思う。自分の友人が、恋人が、家族が、自分の知らないところでどのように振る舞いどのように思われているかなんて誰も知らない。もしかしたら思いがけないほどのクズかもしれない。でも自分の前で見せている顔が自分にとってのすべてだったりするしじゃないですか。この話はほんの少しそのバランスが崩れただけの2か月間なんだと思う。
私が裕一クズだなーと思ったのは、伸二の家での態度くらいかな…

ところで私の目線だと、1番クズだなと思うのは伸二で。裕一が里美の部屋から出て行った2週間後から里美と伸二の浮気関係が始まる(裕一が伸二の部屋に滞在したのも2週間なのでその頃)。要するに、心配してる振りをしながら、「あいつ(裕一)とは別れるんだよね?」と里美に確認しながら、さも優しい友人かのように実家にまで出向き優しくふるまって笑顔で裕一にこう言い放つわけ。
「好きな監督の撮った映画が失敗作だとしても、もうその監督のことを人間的に好きだから「今回はこうしたかったのにこうなっちゃったんだなー」って考えるじゃん?菅原もそれと同じでこの2か月ちょっと歯車が噛み合わなかっただけ。だからもし俺という人間の失敗作が発表されたとしても、菅原にもそう思ってほしいな」(ニュアンス)
いやもう怖すぎる。この台詞のことはまさにその通りだけれどよく言えたものだと思うよ本当に。伸二は基本的に善人のように描かれながらも、ことごとく自分をフォローするような話し方をする人間だなと思って見ていたけれどその伏線の回収がこれか、と。まあ別れる気満々で冗談半分とはいえ慰謝料請求まで考えてるその横で伸二のことを好きになって裕一のことをどうでもいいと思ってた里美が、いくら裕一の母親が心配だからといいって北海道の実家を訪れて神妙な顔をして「彼女です」って挨拶するのもかなり怖いんだけど。

だからというわけでもないけれど、裕一は一応素直さはあるし、謝罪したあとの母親や里美への態度を見る限りでは改心する気もありそうなのでまだ未来に希望はあるはずと私は思ってしまう。人並みにありがとうもごめんなさいも言えるようになったし。とりあえず数日加藤くん宅でお世話になり、どこか安部屋を借り、唯一興味を示している映画の仕事でもしていてほしいなと勝手ながらに思っている。もしもまた途方に暮れることがあるなら一旦私が養うよ……。

終わりはバッドでもなければハッピーでもなく、とても納得できるナチュラルな通過点的なもので、それもリアルな人生だなと。


さて藤ヶ谷くんの話をすると「あぁ」「うん」「え」という無造作な単語にもならない台詞が多すぎてこれはもう使い分けだけでも大変だっただろうというのが最初の印象。少しでも冷静さを欠いたら言い間違えそうだし。声の出し方から動き・仕草・表情・姿勢・髪型どれも裕一くん仕様になっていたので藤ヶ谷くん感は顔くらいだったな(顔はもちろん変わらずかわいい)。声の出し方も「藤ヶ谷くんこんなしゃべりかたするの」って思ったくらいいつもと違っていて相当役作りに精魂込めたことが伝わってきた。数日たってまわりのキャラクターにどんどん色がつき表現も大きくなっていくと、それに呼応するかのように裕一のブレないどうしようもなさがより際立ちやや不気味にすら感じていったのは生のお芝居の変化の面白さを体感してるって感じがした。幕が開けたときは映像と舞台の真ん中のような発声やリアクション、スピード感で成り立っていたものが、どんどんとそれらがより映像的なアプローチになりリアルになり、そういう部分ではナチュラルさを求められる演出で裕一のキャラクターを演じるということは、彼の持ち味にはとても合っていたんじゃないかとか思う。藤ヶ谷くんの表現するやるせなさ、苦しさ、切なさ、絶望みたいな演技が私はとても好きで、それは今回特に大きく感じた部分である。北海道へ向かう空港で見せる不安そうな顔、父親の部屋でスマホをじっと両手で握りながら見せる憂いの顔、里美に浮気を告げられた場面の驚き→少しの怒り→衝撃→悲しみとともに流す涙→わかった…と諦め納得する表情、通路を歩く時の生気のない絶望的さ、そしてラストシーンで振り向いた時の絶望とともに光の見えない未来を見る涙でぐしゃぐしゃの儚い表情。特に最後のシーンの表情は本当に藤ヶ谷くんの今までの演技の中でも非常に心に残るものだった。舞台の、期間が終わればなくなってしまう儚さを愛してはいるけれど、この諸々は本当に映像に残ってほしい…。
あとこんなにも精神的に負荷のかかりそうな役にどっぷり浸りながらも、その一方でカテコですっきりした表情をしていたり笑っていたり休演日にはニコニコとアイドル仕事をできているのが意外だった。昔はダウナーな役を演じてる期間はアイドル仕事の時でもやや役から抜けきれていない部分があったけれど切り替えのオンオフうまくできるようになったのかなと思うと、お芝居を今後もたくさんやっていきたいという彼を見ていきたい人間としてはだいぶ安心するものがある…。ただ今後もかわいい役にはどんどん積極的に喰われてほしい。

(どうでもいい雑談になるけどやっぱり骨格が美しすぎるよね…。どんなにダメな場面でもじっくり顔を見るとついこんなに鼻が高くて骨格が美しいフリーターいないよとか思っちゃう…全然お芝居に関係ないけど…)


この舞台期間が充実しているのが演技や表情からもよくわかるからこそ藤ヶ谷くんにとってこの舞台はどんなものだったのか言葉でどう表現するのかすごく気になるので、年末あたりの舞台誌で振り返りインタビューが楽しみ。気が早いけれど。コルトガバメンツのときに体感した感覚を、もしくはそれ以上の何かを得られた期間になっていたら嬉しいなと思う。